空きコマの暇つぶし

なんでも問います、書きます

インドに出会い日本を想う

‪インドに行った時の話(今まで余り語ったことないけど、衝撃的だったので)‬

 

 

‪僕の働いてたゲストハウスはビーチが近かった。でもそのビーチは一見穏やかに見えるがそうではなかった。‬


‪なぜかといえば、線を引いたかのように貧富の差が見えるから。‬


‪左側は漁村。とても貧しく、家なのかすらわからない建物が密集していた。海の近くでは子どもたちが平気で💩をしていた、全体的にゴミだらけで匂いもきつく衛生的にもよろしくない。
‪一方右側は綺麗なビーチ。押し寄せたセレブ達がまったりとチャイを嗜んだり、優雅に馬やラクダに乗って楽しんだりしていた。‬

 

みんなならどちらに行くだろう?

‪当時の僕はどうしても左側の貧しい方の方達とお話がしたかったらしい。理由はわからないが、どんな生活をしているのか興味津々だったのだ。

 

‪実際に歩いてみると、カメラを取ってくれとフレンドリーに話しかけてくれる人が多かったのを覚えている。

‪パパらしき人が生まれたての子どもを抱えてきて写真をせがんできたりしたので家族の集合写真なども撮ってあげたりもした。(後日プリントして渡しに行った)‬

‪そうしながら歩いてる内に一人の青年(多分僕と同い年)が「ウチへ来ないか?」「美味しいものをご馳走するよ」と言ってきた。‬

 

 

これは余談だが‪、僕はインドに着いてからそこの街へ来るまで、タクシーで余計に払わされたり、傘を盗まれたりと、騙そうとしてくるインド人を沢山見てきた。‬
‪今回も恐らく騙すor盗むつもりなのだろう。

‪しかし同時に、自分が、疑いを持ってしまう心を持っていることが辛かったし、苦しかった。‬

 


‪なので、(もちろん信頼をしてたのに騙される時は余りにもショックなのだが)今回は彼を信頼してみようと思った。‬


‪とりあえずご馳走してくれる美味しいらしいものを見てから判断しよう、と笑。‬

 

 

‪すると、奥から鮮やかな色のサリーを着たおばさんが得体の知れないオレンジ色のご飯と魚を出してくれた。

‪正直なんでも食べれる身だが、ご飯なのにオレンジ色という事実と、子ども達が💩をしてる海で取れた魚であることを考えるとお腹の減り具合が急激に回復するようだった。

‪しかし、実際にみんなの人柄は良さそうだし、本当に貧しい家なのもよく分かったので危なくは無いだろうとご馳走になった(オレンジ色はスパイスだった。もちろん後日下痢)。‬

 

 

‪ご飯を食べながらみんなと話をしていると、先ほど誘ってくれた青年が隣へ来て物珍しそうに身につけているものを見てきた。‬

‪ちなみに僕は英語で話をしたが彼は片言の英語しかしゃべれていなかった(インドでは英語は公用語になるが、教育をしっかりと受けていないとわからないのかもしれない)。‬

‪僕はその頃ヒンディー語も勉強していたので、ヒンディー語の単語の意味が英語やジェスチャーで分かれば話は分かった。なので、彼の話もしっかりと聞くことができたのは救い。

 

‪僕の中ではこの30分が人生に残る衝撃だった。‬

 

‪話を聞くと、彼はその漁村で漁師として働く青年だった。昔は塾があり英語を教えてくれる先生の元で勉強させてもらっていたが、(どんな経緯なのかまでは聞き取れなかったが)突然いなくなってしまい、現在では学校には全く通ってないと話してくれた。‬

 

‪彼は、‬よくここに日本人の若者が来るが、日本では若者が海外旅行をするか、そんなお金があるのかと話しかけてきた。‬

‪僕はアルバイトで稼いだりしているよと話をしていたが余り理解はされなかった。なので、勉強をしながら働いていると言ったら、理解をしてくれたが、何か腑に落ちない顔をしていた。‬

 

‪また続けて彼は、‬
‪漁師の仕事で家族を養っているので、自分が家にいないと家族はご飯を食べていけない。毎日魚が取れるとも限らないから、そういう日は隣のビーチに行って砂で絵を描いてお金をもらったり、荷物持ちの仕事をしながら生活してる、と。‬


‪そのあとお互いのお金の使い方や稼げる額、飛行機の航空代、などを話しすると、なんでそんなバカ高い金額を稼げるのかと驚いていた。‬

 

‪僕はその時本当の意味のお金の格差を知った。


‪彼らが稼げている額は日本円で言うととてつもなく小さい額だ。彼らが1日かけて稼ぐ金額の約10倍を僕らは3時間もあれば稼げる計算になった(その漁村においての話、もちろん違う地域もある)。‬

 

‪彼は日本人をとても羨ましく思っていたと言う。‬だから漁村を歩く日本人には声をかけていたらしいが、逃げられる(そりゃ薄暗いから多少怖い)。‬
‪そんな中でも僕は彼のもてなしを快く受けてくれて嬉しかったと話してくれた。‬

 


‪ご飯が終わると、彼の好きな場所へ案内するよと言われ連れていかれた。‬

 

 

‪それは漁で使う船の上だった。‬

 

 

‪その船はボロボロだがお金がないため、至る所に急遽貼りましたレベルのテープでぐるぐる巻いて補強されている。

 

‪彼と二人でその中で話をした。‬

 

‪すると突然彼が泣き出した。‬

 

 僕はびっくりしたし、なぜだかわからなかったので、慌てながらも伺ってみた。

 

すると‪彼は家族を養うのに精一杯だから、家族のために家を頑丈にすることも、美味しいご飯を食べることも、自分の勉強をすることもできないと話した。‬
‪海外旅行(彼はそんなに行きたくないらしい、これは僕らの文化の中で好まれてるものなのかもしれない)なんてなおさら無理だと。‬

 

 

‪どうしたら君みたいにお金を稼げる?‬
‪と泣きながら言われた。‬

 

‪僕は何もしゃべれなかった。‬

 

‪ただただ彼の話を聞くことしかできなかった。‬

 

‪それは僕にもわからない。

 

 

‪なぜ世界経済の中で、日本のGDPがこんなにも高いのか、高くなっていった背景は何なのか、それを可能にしている社会の構造は何なのか、そしてインドはなぜここまで格差が広がっているのか、わからない。
‪経済とは?政治とか?社会とは?すべてが問われた。‬

 

 

‪またそれと同時に、僕は初めて「自分が日本に守られていること」を知った。昔から様々な人が今の日本のために頑張ってくれていたこと、そしてだからこそ僕らは今の生活ができていることを知った。‬

 

 

僕とほぼ同じ年齢の彼はすでに家族の為に、自分のやりたいことも抑えて必死になって生活を支えていたんだ。。。


‪僕は自分の想像を遥かに超えるような境遇も持つ彼と、同じ夜空の下で眠くなるまで話をした。‬

 

 

、、

、、

、、


‪僕が大学の内に学ばなきゃいけないのは何なのか。‬

‪そして本当の意味での国際協力って何なのか。‬
‪それはお金を付与することだけだろうか?‬

 

 

‪僕らは選ぶことができないままこの世に生まれ、日本という社会の中で育ってきたが、一度日本での常識だと思っていた概念をぶっ壊しても良いのでは無いかなと思った。‬

 

‪そういう意味で人と出会うこと、旅をすることは僕に大きな力と生きる意味を与えてくれる。‬

 

以上

 

 

コーヒーとは? 序章

こんにちは、やまたくですー。

ここ最近、僕の勉強時間が以前と比べると多くなってきていて、それに伴ってある飲み物の消費が増えています。

それはコーヒーです。コーヒーです。コーヒーです(大好きなので3回言いました)

どれぐらい好きかというと、朝の僕の部屋は、職員室並みのコーヒー臭さです(よくわからない)

そんなコーヒーですが、嫌いな人も多いかもしれません。

僕も昔は苦手で飲めませんでした。

だって黒いし、苦いし、不味くね?って思ってたからですww(何故かいまは大好きですが)

でも不思議なことにそのコーヒーって、世界中で愛されていますよね(←ここ大事)
ここ日本でもカフェが非常に多いように感じます。

何故こんなにも多くの人に消費されているのでしょうか。
見た目や味(黒いし、苦〜い)と実際の消費具合(世界中で飲まれている)のギャップが激しいように感じるのは僕だけでしょうか?


おそらく好き嫌いに関係なく飲んでいる人もおおいかもしれません。
そして、僕はそこには何か理由があるのかもしれないなあと思うんです。

それは見た目や味だけではなくて身体的影響や嗜好されている時代背景も関係するのかもしれないなあって。

だって想像してみてください。

砂漠を歩いている人がいる。その人の体力はもう限界まで来ていて今にも喉が渇いて死んでしまいそうな状態だ。
そんな時に砂漠の中から、女神様が登場してどちらか一方を恵んでくれるという。
そこにはキンキンに冷えたいろhすと得体の知れない黒く苦い「コーヒー」という飲み物の二つ。
みんなだったらどちらを選ぶだろうか?
普通だったらいろhすを選ぶのではないでしょうか?
だってそんな状況だったら飲みやすい方を選びたいですもんね。

コーヒーっておよそ1000年前から飲まれていたと言われているのですが、この1000年間でどれぐらいの社会問題や紛争、飢饉、貧困が起こったかは少しでも歴史を勉強していれば、わかることです。

つまり、そのような中でも、また現在もコーヒーが飲まれ、愛されているということはそれなりの理由があるはずだと考えるのが普通だと思います。

 


そこで社会を専攻している身としてコーヒーの歴史を多角的に考察し、コーヒーが当時与えた影響、またなぜ今も愛されてるのかや今後の可能性を考えたいと思います。(お、社会科っぽくなってきた)

今回は歴史が苦手な人でもわかるように、わかりやすさや面白さなどを重視して書くので、そこら辺のフィードバックを下さい。

 

それでは、次のブログへ。

写真サークルRAWでの出来事

こんちは、たくです。

 

今日11月19日は愛知教育大学で秋祭がありました。

 

ぼくは写真サークルの写真展の留守番を一日中してました。

 

今日は50人ぐらい来場をしてくれました。

あーりがたい!!

 

でもぼくは少し写真展をする自信がありません

 

それは、何かというと

 

なぜ、写真展はハコをとり、空間をつかうのか

 

ということです。

 

写真を見るだけなら、インスタでもツイッターでもいいかと思うんですが、それでも敢えて写真展にするのにはどんな意図があるんでしょうか?

意図というか狙いかな

 

個人的納得しているのは、紙の質感が面白くて印刷したものの方が面白みが増すのだそうです。

 

たしかにー!!

 

でもやっぱりひっかかります。

 

空間ってなんだろう

今回は教室だったので、

教室ということは

学びのハコ

それを写真展にするということは

その展示自体で何かを伝えるため。。。?

 

なんかよくわかりません

 

だれか面白い発想、いい考えがある人は教えてください。

 

 

ある本を読んで思ったこと

みなさん、こんにちは

とか言いつつ見ているのはぼくただ一人なんですけどね笑笑

 

とは言いつつ、今日は面白い、興味深い本で知ったことをつらつらしたいと思います。

 

その本とは、、、、、、

 

 

「選択の科学」

 

という本です。

 

まだ3分の1程度も読んでいませんが、思わず書きたくなってしまいました。

 

余談ですが、今日歩いていて思ったこととして、

 

読書感想文をこんな年だからこそ書いてみよう、

人工知能が読書感想文をかいたら面白くなるのか

1日一回ブログが更新を可能にするには、単純に1日ひとつ何かを成長させて感じれば良い

 

と思った、

ということでした。余談は終了です。

 

本題ですね。。

 

 

「選択の科学」に書かれていたことで、こんな文がありました。

 

人類を含む、生物は選択をすること自体を好む傾向にある

 

のだとか、、

 

ちょっとイメージしにくい方はこんな例はいかがでしょう

 

ある迷路が2つあります。

ゴールには2つとも同じ大きさの、全く同じウインナーが置いてあります。

 

それを被験者はしっています。ここでは仮に被験者を犬としておきましょう。

 

その犬はゴールに行くまでに一つだけ選択しなければなりません。

1、ゴールまでまっすぐの一本道

2、分かれ道がある(どちらに行ってもゴールにつける)道

 

です。

 

なんどもいいますが、どちらを選択してもゴールにはたどり着けます。

 

しかし、生物の傾向的に、選択肢の多い方を選ぶことが圧倒的に多いそうです。

 

不思議ですね。。。。

 

そこで筆者は考えました。

 

目的が満たされずにそこまでの道を選択するのはよくわかるが

目的が満たされているのに、道の選択に対して不満を抱いている人はどうなるのだろうかと。。

 

このあとの話はまた次回報告します。

 

話を戻すと、

 

「選択肢が多い方が選びやすい傾向にある」

これが人間の本能だとしたら、

バイキングや食べ放題などが儲かる原因がわかりますね笑笑

 

人間にとって自由とは。

 

選択する権利。

 

もっと深く考察すると、選択肢を自ら作る権利。

 

これが生物学的にも法学的にももっとも重要なことだったりするかもしれませんね。

 

 

選択ってなんだろう。

一度考えてみてください。

人生を左右することなのでしょうか

どれだけ自分に影響を与えているのでしょうか

 

 

また深く読んでみようと思います。

 

 

後悔しても立ち直れる方法

こんにちは、たくです。

 

今日はふと後悔したことを振り返ってしまったので、少しズシーンと暗い日になってしまいました。

 

ですが、今日はそんな暗い日を乗り越えれる自分なりの対処法を紹介したいと思います。

後悔したことがまだ心に残ってしまっているひとがいたらぜひ活用して見てください。

 

まず、後悔がある人はその後悔を全力で思い出して、感情へ訴えかけてください。

「なんでそんなことしたんだ」「なぜやっちゃったんだ」と

続いてその荒ぶった感情を、おおげさに表現してください。

うあぁぁぁぁぁあああああああああ

ぎゃぁぁあぁぁぁぁぁぁああああああ

なんでもよいです。

ここでは、感情をおおげさに表現することが大事です。

 

めちゃめちゃに、感情に任せて表現すると、

おそらくこうおもうはずです。

 

「おれはなにやってんだ」

 

と(笑)

 

感情が高ぶるのは6秒が最大だと言われています。

 

6秒を越すと人は冷静になります。

 

後悔したことに感情をのせ高ぶらせると冷静になり、笑けてきます。

 

笑けてきたら、もうあなたの勝ち。

 

ふと冷静になり、

 

「なぜこんなことに後悔していたんだ」

「次はこうすれば大丈夫だ」

「恥ずかしかったけど、誰も見てやしない」

そういう風に思えるようになるはずです。

 

感情を発散させることは難しいことです。

今の日本でならなおさらです。

なかなか自分の感情を露わにすることもないでしょう。

正直言って窮屈なことも多いです。

 

感情は表現するためにあります。

ぜひ表現させて上げましょう。

 

そうすれば、新しい視点が見えてくるはずです。

 

 

以上

知の見取り図サロン「人工知能」

今回の11月12日は知の見取り図の東海第2弾となるサロンが開催されました。

今回のコンセプトは文理融合を掲げました。理由は以下の通りです。
今の世の中を見てみると、様々な問題があります。例えば、環境問題、飢餓問題、食糧問題、また違う視点では、難民問題、EUの脱退、アメリカ大統領選挙のトランプ氏の当選、また問題といえば、この社会のあり方を大きく変えうる人工知能の出現など、です。問題をあげればキリがありません。これらの事象は様々な学問領域からアプローチされており、今もなお解決に向けて研究がなされています。
これらの事象の中にはある一つの学問だけでは到底解決ができない問題があります。その一つが例えば、難民問題でしょう。この問題は国際法の観点から考察することができる一方で、国際政治学、法哲学、組織学、など様々な面を多様な学問で研究することが可能です。
このように今の世の中では、事象を解決に向ける時、様々な学問の考え方が必要になってくると思います。このような視点に立った私たちはこのイベントで皆さんに伝えたかったことは、「思いもよらない学問や専門領域の中には自学のヒントが隠れているのかもしれない」ということです。
そこでその「思いもよらない学問や専門領域」とは何かを考えた時、高校の頃に選択させられた文理を考えました、つまり、いわゆる文系学問ならば、いわゆる理系学問、いわゆる理系学問ならば、いわゆる文系学問ではないでしょうか。
いわゆる文系学問を理系学問と組み合わせることで、僕らが求めていた気づきがより明確に反映されるのではと思いました。
これらの理由により文理融合をするというコンセプトにしようと決めたわけです。

そしてテーマ決め。これらのコンセプトに沿ってのテーマ決めは難くありませんでした。理系分野である人工知能のが文系分野である倫理観を考えることができるのか、そんな疑問を一度は抱いたことはないでしょうか?
人工知能の開発はいま、劇的に進んでおり、いまや裁判官を務めることもできるようになりようなところまで来ています。今回はそんな夢がありつつ、問題として取り上げやすく、誰もが関心のあるであろう人工知能をテーマとして各専門家の方におしゃべりしてもらいました。

ここまではサロンのざっくりしたお話。
ここからは僕がスタッフをしてみて感じたこと、やらなっと危機感を感じたこと、当日にあった出来事などを備忘録のように残しておきます。

(スタッフとして)

正直本番当日まではなかなか積極的に進められなくて不甲斐ないことが多かったです。
ミーティング面においては、問題の収縮方法や、発散方法、このコンセプトの決め方などをどう進めていけばいいのか全然わかりませんでした。キムさんとお話をしていく中で少しづつ形になっていった気がします。それでも相手も意見を出さすところ、発散の方向性、収縮方法、意思決定者の有無、ミーティングの回数、そのミーティングことに何をはなしあわなきゃいけないことかということ諸々を考えながら頭を使って頑張れたことはいい経験でした。


=学問紹介=
宇宙物理論
しゅんあらい
法哲学
えいなかがわ
緩和ケア

=グループワーク=
3グループに分かれてそれぞれの形式に任せて約50分間行いました。
ワークシートはあえて白紙にしました。理由としては学問や事象は文系理系にけるという二限論的なものだけではないからです。運営側がそこまで逆に制約してしまうと、思考の幅を制約してしまう恐れがあるからです。だからあえてグループの意見の発散方法に任せ、っ収束できるように白紙にしました。
グループワークは専門家の方がしっかりしていたので、大成功に向かっていたのだと思います。
=イベント後=
イベント後はきっちりと締めて、帰れる人が帰れるという雰囲気を作れたのは良かったです。そしてそれ以外の人は終わりの流れで、みんなとの話し合いが始まってました。先ほどの続きを話し合う一方で、どんな人なのかなというように、話がフォーマルなところから砕けていくのも良かったと思っています。
それは会場の雰囲気が良かったのかなと思っていて、あの空間でやるからこそ生まれた学びが多くあったと思います。

=定期開催=
このサロンは定期開催しています。第一回目は高校生対象で学問の話を、第二回は人工知能の話を大学生対象にしました。このサロンのコンセプトは知的好奇心でワクワクすることと、地域に根ざしたサロンコミュニティを作ることです。ただ今回のサロンには大きなコンセプトがあって、それは、教育のオープンソース化です。これを実行するために、いまやらなきゃいけないことは、このサロンを一回で終わらすことなく、3回目、まあは愛教サロンも開催していきたいと考えています

=反省点=

今回は司会進行を務めさせていただきました。個人としては光栄でしたが、一番不安だったのが、最後のクロージングです。
イベントが始まってしまってもその不安は払拭でいませんでした。なぜかといえば、書き起こしていなかったからです。そのため、初めの方の司会進行ももたついてしまって、ぎこちなく、締まりが無く、ふわふわしてしまっていました。

これに対して、キムくんが注意をしてくれたのは嬉しかった。

僕もなんとしてもクロージングを行いたかったので、必死に怒られながらも書き起こしました。

個人的に一番印象的だったのは
「自分がこのイベントのことを一番知ってるような態度で堂々としゃべろ」と
そうしないとふわふわしてしまうし、間もわからなくなってくる。
相手が自分の目を見ていることを確認してゆっくりと堂々と話せば大丈夫だと言ってくれました。

このイベントは元論のこと、このクロージングの言葉を聞いて、みんながどういう態度に、雰囲気になるのかを考えながらやれと言っていただきました。

イベントのあれこれを熟知しているキムさんからいろんなことを吸収していき、学びととしてもイベンターとしても、一人の学生としてももっと成長していきたいと感じた24時間でした。

専門家の方たちから本の紹介をしてもらおうかしら。

おわりん。

 

暇つぶし独り言

美術棟の前の池に背を向けて、ベンチに座ってる

風が心地よく、昆虫たちの鳴き声も夜を歓迎してる

 

 

いったいどんな会話をしてるんだろう

 

 

ふと考える

でも俺らにはわからない

けど、なにか大切な、もっと根源的な、純粋な何かを語り合ってるかのよう

 

、、そんなことを考えてる自分はどうかしてるが、しかしそんな自分がすきだ

 

自然に寄り添い、自然体な心身で想えるから

 

フィクションであろうと、自分の中の妄想であろうと、想う心があるのだから

 

 

でも思考の中に突然、人工的な、冷たくて寂しい感情が自分を襲う

 

 

すると、いま自分がどこにいるかを見失う時がある

 

いま、この場、この雰囲気、すべてがまるで過去へ流されてしまうように

また未来へ飛んで行ってしまうように

 

私は「今」を生きたい

 

そして、さらに言えることは今を必死に生きてるものと共存したい

 

人は誰も一人では生きていけない

 

一人であれば生きたいとすら思わない

 

それが私の生き方