空きコマの暇つぶし

なんでも問います、書きます

成長?

小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校を卒業し、浪人を経て、大学に入った。
いつもどんな時期でも先生の評価は変わらなかった。
「優しい子だね」「責任感があるね」
でも別に優しかったわけじゃないし、責任感があるなんて一切思っていなかった。
ただいつもそこにあったのは、「誰もやらないからやる」だった。
誰も手を挙げなければ挙げる、誰も立候補をしなければやる、誰も動き出さなければ動いてみる、こんな思考だった。
おかげさまで先生に良いように利用されたことが何度もある。成長という言葉に踊らされて色んな分野や役割に手を出してみたりした。この言葉は怖い。
その呪縛は大学に入ってからも同じだった。
大学に入ってからは特にひどく苦労した。
その成長がどの分野のどの場所で活きるかも分からないまま、ただひたすらに「知らない世界だから」と言って上っ面の目的を定め、成長を求めた。
その先には何がある?何があった?
その答えは無限だ。
大切なのは、自分がどれだけ自分を理解しているか、どんな景色を見たいかだった。
自分はどんな時にモチベーションが上がるのか、どんな時に幸せを感じるのか、どんな人といるのが楽しいのか、何をする時間が心が充実するのか、を全く知らなかった。
高校の頃の部活の部長に言われて、今も忘れられない言葉がある。「高校は三年間しかない、剣道は80歳を超えてもなお剣の道を極めている人がいるほど奥深い武道だ。そこに三年間で到達することは到底できない。でもインハイ優勝を目的に定めれば何が必要なのか、何が必要ないのか見えてくるんではないか」ということだった。
全てを求めようとしてた自分には衝撃的な一言だった。
自分の立場、仲間と目指す場所がはっきりとしていればあまり迷わなくて済むと感じた。
大学もそうだ。その後もそう。
つまり、未知への探究心は人間に備わっている本能的なところであって、ツールであって、それ自体が目的ではないのかもしれないということ。自分自身を知るために、未知のものに対する探究心が備わっていて、その為には過去の自分から自分自身を知る必要があるということだ。自己への探求は目的であり、手段である。
大学を卒業する頃には「自分のことをよくわかっているね」と言われたいと思った。