わがままであれ。
こんなこと書いていいのかなあと思いながらもつらつら書いてます。
「わがままでいてね」
事あるごとに思い出す言葉です。
友人の言葉
亡くなった僕の友人から最後にもらった言葉です。約二ヶ月前、若くしてガンで亡くなりました。とても笑顔が独特で、でもそんな笑顔がとても素敵で、知的で、ユーモア溢れる素敵な女性でした。ぼくが現地のスタッフとしてインドにいて、インドから帰国する直前に出会った方でした。
これを知った僕は、教育実習直前でした。お見舞いも行きました。
そして今まで
何度も何度も泣きながら、その言葉の意味を考えながら生活してきました。
今やっと書き起こそうと思い立ったのでカキカキしてます。
でも、ついこの前まで
わがままでいるってなんだろうってずっと思ってました。
たまたまある日のこと。
当時、彼女とふたりでぼーっと海岸を眺めていた時の情景を思い出していたら
こう言いたかったのかもしれないなと考えるようになりました。
「自分らしく、この瞬間に生きてるということを噛み締めて」
と
その時の彼女は、もしかしたらすでにガンを患っていて、残り少ない人生を最大限に生きる為に、インドに来ていたのかもしれないなと考えるようになりました(実際は聞いてません)
何故かというと、その時の眼差しは海の果てのほうを遠く眺めているようで、いまこの瞬間の人生を最大限に記憶してるようだったから。
すごく心地よく風を感じて、海を眺めていました。
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僕は、わがままは言わないように育ってきました。
多くの方もそうかもしれない。
でも、わがままであることは、自分らしくあることに他ならないとも思います。
しかし、自分らしく生きることはとても難しいことです。
例えば大学に居たら、
教員を目指すのは当たり前、サークルに入るのが当たり前、部活に入るのが当たり前、コンパに行くのが当たり前、お酒でぶっ倒れるのが当たり前、変わらないメンバーで戯れるのが当たり前。
当たり前が多すぎて、ひとたび脱線した瞬間に少し変な人になる。
なんか特に、一年の時は、見えない圧力というか「すべき」オーラがすごかった。
あれしろ〜、これしろ〜、なんでやってないの?大学生なのに〜〜。
先輩の指示に全く従わなかった僕はずいぶんと嫌われてたんじゃないかなと思ってます。
ぼくは、
「自分らしく」あることは難しいことなんだけど、でも自分が自分らしくある為に、まずは周りに「自分らしく」あれることができる雰囲気が必要なんじゃないかなって思います。
それは、「迷惑な」循環を作ること。
迷惑をかけては、被り、みんなのやりたいことを少しずつ表に出していくことです。
自分らしく、わがままであることは、少なからず人に迷惑をかけます。
日本ではそれに対して、迷惑をかけてはいけませんよという教育がなされますが、それは少し違うと思いました。
つまり、
迷惑をかけないように生きる選択をするのではなくて、迷惑をかけて当たり前という姿勢を持つこと(インドっぽい)が必要だと。
そして、自分が迷惑を被っても許せる(何故なら自分も迷惑をかけてきたから)環境、心持ちが僕には大切なんだろうと思いました。
僕自身もいまは相手に対しては常にそんなスタンスです。
僕も迷惑らしきことを被ることは散々ありますが、怒ったことは一度もありません、てか怒る気がさらさらありません。
最後に書きたい事は、
これからは、もっともっと自分らしく、今の人生を悔いなく過ごしたいということだけです。
その為のスタンスは続けて行きながら、自分らしさをより際立たせて行きたいです。
迷惑をかけてかけられて、自分のやりたいことを想い想いにやらたら、それでいいと思います。
そして、関わってくれてるみなさんは、これからも僕にわがままな迷惑をかけてください。
とことんわがままな迷惑をかけて、悔いなく利用しまくってください。
友人に感謝しながら。
おわり。