空きコマの暇つぶし

なんでも問います、書きます

教育学部にいるとは。

 

教育ってすげーよ。

って思ってます。

 

昨日は見えなかった視点に今日は立つことができる。そして世界がガラッと変わって見える。

 

そんな驚きや感動を与えてくれるからです。

 

 

 

更にそこへ教育者としての視点を添えると、、。

日本はいま課題先進国である。

その為、解決しなければいけない問題が山積みです。

それを解決するのは

システムでも、エンジニアリングでもなく、正直「教育」しかないと思っています。教育なくして社会は持続的には発展しません。

 

それだけ意義のあるものだと感じます。

 

個人個人が、我ごととして問題を捉え、隣人の問題、友人の問題、組織の問題、地域の問題、県の問題、国の問題、世界の問題に取り組む姿勢を育てなきゃ今後のウン千年の持続可能な社会は実現できないんです。

 

「教育」というのはそれだけやり甲斐のある、しかし骨の折れるような仕事です。

 

 

では、課題を解決できる人材を育てるべく、教員として、教育方法という面でプロフェッショナルになるべきか?

 

 

それだけでは、ダメだと思います。

ぼくは教員が複眼的に社会や教育を見ることができる視点が不可欠だと思ってます。

 

複眼的とは、
いろいろな角度・立場から物事を見るさま。 「 -な思考」
のことを言います。

 

組織づくりを通じて、人に問題を問題として捉えてもらうには、全体像を見せなければいけないと感じました。そこでの内発的な動機が人のエネルギーになるからです。

 

つまりは、教員は、現行の教育が行われる時、その背景、その全体像を社会の構造や仕組み、役割など、全体を俯瞰することで、理解する作業が必要です。

 

学びと教育
行政と教育
法と教育
企業と教育
家庭と教育
市民(個人)と教育
教育問題と教育
世界と教育

 

このように、社会と分断されがちな教育は実は至る所とつながりがあります。

 

しかし、このような観点から複眼的に教育を考えられる学生はほとんどいません。僕も含め。しっかりと根拠立てて語れる人は教授でも一握りでしょう。

 

 

ここまでで伝えたかったのは、

・教育の意義を知っていること

・教育と社会を分断しないよう複眼的に物事を捉えられる視点を持つこと

 

が教員には必要だということです。

 

しかし、もはや学校教育が担える役割もキャパシティがオーバーになってきてます。

であれば、今後の公教育はどうなるでしょうか。もしかしたら、民間で教育を代替する時代もくるかもしれません。わからないですが。

 

まぁ、

色んな話が上がるとは思いますが、

今回はテーマ

教育学部にいるとは」

ということで

 

結論!!!!

 

「教育を学ぶとは社会を学ぶこと」

教育学部にいるということは、社会についてよく知ること。

これに尽きます!

 

 

やや文章がテキトーなのはごめんなさい、目的がなく、感じたことをそのまま表現してしまいました。

おわり、