教育の役割について①導入
ぼくは、教育が最低限度に果たすべき役割とはなにかを考えている。
現在の学校教育では、様々なことが教育という枠組みの中で教育研究され、現場で実践されている。
しかし、多くのことは学外でも教えることができるとぼくは考えている。例えば、プログラミング教育や英語教育といったものは学外でも学べることができるのではないか。さらに言えば、物質的に豊かになった今の日本では、数学や漢字、その他食育などの知識も学外で学べるのではないだろうか。
そう考えると、次の問いが生まれる。
「学校でしか学べないものはなんだろう」
教育を考えるとき、大きな2つの視点がある。
1つは政治的・経済的・社会的に求められる教育の機能。
もう1つは自己実現などのための教育的機能。
そして両者の妥協点に、学校教育という営みがある。
教育とは、そもそも本質的に二重目的を持つものなのである。
まずここを理解しなくてはいけない。
さらに言うと、本来であれば、それをなおざりにして手段を考えることはできないはずである。
つまり、学校教育の目的は何かを理解した上で、僕たちはその手段である指導案をはじめとする諸々に向き合うべきなのである。
しかし、大学の授業では、特にうちの大学では「手段」としての教育方法論がほとんどである。
例えば、教育指導要領の文言に則って、指導案を作成し、指導案に対して先生からの赤修正をいただき、どの文言が反映されてないかを考えては修正し、誰でも情景がイメージしやすいように分かりやすい言葉で指導案を作成していく具合だ。これがほとんどなのである。
そして、教育の果たすべき役割とは何かを知らぬまま授業を受け、指導案が完璧にかけるように教育され、教授に褒められるような所謂クリエイティブな指導案を考えることが、自分にとって大事だと思うのであれば、それを進めればいい。そして、教員採用試験対策のために参考書を購入し、当たり障りのない文言を必死に覚えて、資格を取る為に○原などの面接対策を行い、教員になればいいのである。そこに学ぶ主体である「子ども」が置き去りにされてたとしても。。。
話を戻すと、
現在の社会の情勢を鑑みた上で、二重の目的を持つ学校教育において「子どもの為にいまの学校でしか学べないこと」とは一体何だろうか。
言い換えると、最低限学校教育が果たすべき役割とは何か。
次はそれをふかぼって行きたい。
次へ続く。